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2022年3月7日 巣鴨~新宿~伊香保温泉 |
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巣鴨 地蔵通り商店街 (とげぬき地蔵通り) |
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Mの肩痛がひどく、すこしでも緩和するよう願って効能の良さそうな温泉に行く。 その前に、3月は亡き兄の命日.月なので恒例のお墓参りに寄る。毎年命日の26日頃は、霊園の桜も満開の頃だが、今年は桜も蕾がつき始めだった。 |
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巣鴨駅入口の桜はまだ蕾 |
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巣鴨駅下車、すがも平和霊園へ歩いて10分、午前10時過ぎに到着。 入口脇に、当寺に埋葬されている漫画家富永一郎氏による、平和記念碑が建つ。 |
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富永一郎氏作「平和記念碑」 |
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四十代からガンとの闘いの歳月を送り、52歳の若さで逝った兄の無念さを思うといつも辛い。 霊園には兄が亡くなって間もなく、あとを追うように逝った義姉も一緒に埋葬されている。 |
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巣鴨駅から霊園までの裏通りは辺り一面満開の桜だが今年はみれないのが寂しい。 |
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巣鴨/高岩寺「とげぬき地蔵」 |
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帰りに"おばあちゃんの原宿"巣鴨地蔵通り商店街のランドマーク高岩寺「とげぬき地蔵」さんをお参りする。 |
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巣鴨地蔵通り商店街を抜けるとすぐの、江戸六地蔵4番「真性寺」さんもお参りしていく。 |
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江戸六地蔵「真性寺」 |
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「真性寺」さんの境内には早咲きの山形「啓翁桜」が見事に咲いていた。 |
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巣鴨駅に戻って山手線で新宿駅へ。 |
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バスタ新宿待合室 |
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バスタ新宿から伊香保までは草津温泉行の高速バスを予約していた。 高速バス「上州ゆめぐり号」は新宿~伊香保石段街下まで二人で\5420- |
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バスタ新宿発12:05~伊香保石段街まで直通ノンストップで2時間半あまり。14:42到着予定。 |
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2022年3月7日 伊香保温泉 |
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新宿バスタ ~伊香保温泉 |
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バスタ新宿発12:05~途中一回休憩があってJR渋川駅経由で、予定時刻の14:42を少し遅れ伊香保石段街に到着。伊香保温泉入口のこのバス停は草津温泉、榛名湖方面や温泉街循環バスなどあちこち行のバスが停車する。 |
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伊香保石段街バス停 |
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新宿で乗ったバスの乗客は、ほとんどはそのまま終点の草津温泉まで行くのだろう、伊香保で下車したのうちの他ほんの数名。 |
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伊香保名物石段365段の標識 |
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伊香保温泉は初めてではないが、コロナ禍の時期のせいか以前よりだいぶ人が少なく閑散として、観光業の経営の厳しさが実感される。 |
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石段をゆっくりのぼって、土産物店いさご屋の角を左に折れると宿泊予定の「森秋旅館」だ。 |
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伊香保では「森秋旅館」は初めて宿泊する。古い宿だが評価はまずまずで、料理はいまいちだが、お風呂の評判が良くそれが決め手になった。 |
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15:00 チェックイン、案内されたのは202号室。大浴場や露天風呂は全て2階なので部屋から階段やエレベーターを使わず行けるのが便利でありがたい。 案内してくれたのはアジア系の女性で日本語も上手でいい感じの人。 |
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「森秋旅館」202号 10畳 縁側付の部屋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
着替えてお風呂へ。部屋を出ると廊下の中程に男女大浴場の入口が並んでいる。 お風呂は宿自慢の源泉掛け流し茶色い「黄金の湯」 |
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大浴場 ”地蔵の湯”/宿HPより |
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貸切露天風呂 ”みはらしの湯”/宿HPより |
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源泉掛け流し茶色い「黄金の湯」は白いタオルも茶色くなる程で、Mの肩痛が少しでも楽になるといいのだが... |
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夕食は6時から4階の大広場で、ソーシャルディスタンスを考え席の間隔を広めに気を使っていた。 |
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露天風呂 ”雨情の湯”/宿HPより |
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今日最後のお風呂へ。明日は4㌔先の水沢観音まで歩く予定。 |
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2022年3月8日 伊香保温泉~水沢観音 |
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3月8日、伊香保2日目 朝食は5階の展望レストラン (前方の山名がかかれた箸袋) |
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箸置きに書かれていた山を眺めながら朝食バイキング。 |
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レストランからの通路に掛けられた古写真を見ると、森秋旅館の前進は「森田館森田秋三郎本館」といって、創業明治元年(1868年)老舗旅館。 |
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しゃぼん玉・赤い靴などの童謡を残した詩人、野口雨情ゆかりの宿。 |
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昔の森秋旅館(森田秋三郎旅館) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10時~清掃の為お風呂に入れないので周辺散策に出発。 |
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長い石段をあがって伊香保神社を参拝。昨日バスで着いた伊香保石段街バス停から続く石段はこの神社までで365段。 |
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伊香保神社 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
森秋旅館のある場所から石段をだいぶ上がってきて標高も高いので伊香保神社境内はまだ雪が融けないで残っている。 |
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お参りを済ませて石段を下る。途中に「岸権旅館」脇を通る。ここは1993年(平成5年)、1994年、2005年の3度も泊っている、もてなしのとてもいい宿で当時を思い出し懐かしい。 |
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石段下バス停前まで下りてきて、今日は水沢観音へ向かうので、前の県道を渋川方面に下っていく。 |
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伊香保温泉・石段下 |
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坂道を下っていくと、温泉街の外れに伊香保グランドホテル(伊香保で初めて泊った宿)更にその先に「竹下夢二記念館」前を通って、伊香保カントリークラブ脇の道を右折して水沢観音方面に進む。 |
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伊香保温泉から水沢観音へ |
臨済宗佛光山寺本山「法水寺」 |
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ゴルフ場脇の通りは車の往来が多く歩道もなく歩くには快適な道ではないが車に注意しながら進むと、山裾に大きな建造物が目に入ってくる。 そういえば昨夜食事中、森秋旅館の女将さんが水沢観音途中にある大寺院に寄ってみてくださいといっていたのを思い出す。 |
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女将さんが言っていたのはここだったんだ。 参道石段下の駐車場わきに掲示された案内板を読む。そこは台湾の仏教寺院が日本で建築した佛光山「法水寺」というお寺だった。 |
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臨済宗佛光山寺本山「法水寺」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長い石段をゆっくり登ってお参りしていく。 だいぶ登って境内にあがり振り返ると、前方は左右に雄大にひろがる大パノラマに感動。 榛名山を背にした広大な敷地の寺院で規模の大きさにびっくり! 台湾/高雄に本山があるのでいつか是非行ってみたいと思う。 |
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←台湾・高雄にある 本山「仏光山仏陀紀念館」 |
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初めてみる台湾寺院「法水寺」から更に水沢街道を2㌔ほど進み目的地、坂東33観音16番札所・水沢観音に到着。 |
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この寺は35年前 40歳&38歳の頃、坂東三十三ヶ所札所巡りで来てお参りしたのが懐かしい。 (坂東三十三ヵ所l札所十七番水沢観音⇒) |
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坂東三三ヵ所札所巡り⇒ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
水沢観音では六角堂も三べん押し周りゆっくりお参りする。 帰りは来たときと同じ道をゆっくり伊香保温泉へ戻る。 |
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伊香保石段したには午後1時ころに着く。石段途中にある名物の"玉こんにゃく"(4個\100)を買って宿に戻る。 |
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伊香保温泉/小間口権者(源泉所有者) |
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伊香保温泉には小間口権者(源泉所有者)という定められた量の源泉を所有する者があり、現在旅館では9軒の所有者が、伊香保の伝統ある茶の源泉『黄金の湯』を守るため厳しい使用を定める組合を形成している。 |
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大浴場 ”地蔵の湯” |
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夕食は昨夜と同じ4階の大広間でいただく。お風呂に入って休む。 |
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3月9日 朝食前に最後のお風呂。今日は伊香保温泉から草津温泉に移動する。 |
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10時チェックアウト。バス停まで脇を見ながら、ゆっくり歩く。 |
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石段わきに掛けられた渋川駅開業記念写真に森秋旅館の女将さんが写っていた(後列右から2人目) |
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石段脇に明治時代の「ハワイ王国公使別邸」駐日ハワイ王国公使ロバート・アルウィン氏の別荘跡。 そのすぐ近くに伊香保関所(伊香保口留番所)跡。 |
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伊香保関所(伊香保口留番所)跡 |
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石段下バス停に10時半にきて草津行のバスを待つ。 草津行高速バス10:37分は、新宿バスタから来るバスで、空席があれば乗れるいう賭けのようなもの。だめなら1時間待って次に乗るしかない。 |
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10時40分ころバスが到着、下車する人が誰もいない。運転手さんに二人空きがあるか尋ねると「ちょうど二つだけ空いてますよ~」と嬉しい返事。用意していた\1050X2=¥2100を運賃箱に通して乗車。Mは前から3列目、Kは最後列、席は離れ離れだが予定通りの時間で草津に行ける。よかった~。 |
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しかしこんな時期なのに満車とは、旅行中は常にマスクは2枚重ねにしている。伊香保温泉から草津温泉バスターミナルには約1時間半であっというまに到着。 |
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草津温泉バスターミナル |
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草津温泉大坂屋は湯畑の近くで、チェックインは13時からと早く入れてくれる。 草津温泉バスターミナルで少し休んでからゆっくり歩いて向かう。 |
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草津温泉バスターミナル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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高岩寺「とげぬき地蔵尊」起源と歴史 |
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高岩寺「とげぬき地蔵尊」 |
高岩寺「とげぬき地蔵尊」起源と歴史 曹洞宗萬頂山高岩寺は、約400年前(慶長元年=1596年)江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂に移りました。明治24年、区画整備のため、当地(北豊島郡巣鴨町)に移転し、今日に至ります。御本尊はもとより霊験あらたかな「とげぬき地蔵」として知られる延命地蔵尊です。 正徳3年(1713年)5月のこと、江戸小石川に住む田付という人の妻は、常に地蔵尊を信仰していました。一人の男の子を出産して後重い病に見舞われ床に臥し、手足は「細き竹のごとく」にやせ細ってしまいました。諸々の医者が手を尽くしましたが、一向によくならず、遂に婦人は臨終を覚悟し、「私の家には怨霊があって、女はみな25歳までしか生きられないと父母から聞いております。姉も25歳で亡くなりました。」といいだすしまつでありました。田付氏は悲歎にくれつつも、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりするほかないと、毎日一心に病気平癒の祈願を続けました。 ある日のこと、田付氏は不思議な夢をみました。黒衣に袈裟をかけた一人の僧が現われ、「私の像(かたち)を一寸三分に彫刻して川に浮かべなさい」という。田付氏は、それは急には成し難いことを答えると、「ではあなたに印像を与えよう」といわれ、夢からさめました。不思議な夢と、ふと枕元をみると、何か木のふしのようなものが置いてありました。よくみるとそれは「彫ったものでも書いたものでもない」不思議な地蔵菩薩の御影なのでした。田付氏は命の通り、これを印肉にせしめて、宝号を唱えつつ一万体の御影をつくり、両国橋へ行き、一心に祈願しながらこれを河水に浮かべました。さて、その翌日朝またぎ、田付氏は病床の夫人の呼ぶ声に急いで行ってみると、夫人は「今、枕元に死魔が現われましたが、錫杖(しゃくじょう)をもった黒衣のお坊さんが、錫杖を使って外にドンと突き出してしまわれるのを見ました」と告げました。田付氏は霊験にわれを忘れていましたが、あれほど重かった夫人の病は日一日と快方に向かい、その年の11月には床を離れることが出来、以後夫人は無病になったといいます。 田付氏がこの霊験の話を山高という人の家でしていると、一座の中に毛利家に出入りする西順という僧がいて、ぜひその御影を頂戴したいといいました。田付氏は持っていた2枚を与えました。正徳5年のある日、この毛利家の女中の一人が、あやまって口にくわえた針を飲み込んでしまいました。女は苦しみもがくが医者も手の施しようがありませんでした。そこに西順が来たり、「ここに地蔵尊の尊影がある。頂戴しなさい。」といって、一枚を水で飲ませました。すると、間もなく女中は腹の中のものを吐き、きれいな水で洗っていると、その中に飲み込んだ針が、地蔵尊の御影を貫いてでてきたといいます。 江戸時代最大の火事であった「明暦の大火」(1657年)で、当寺の檀徒の一人「屋根屋喜平次」は妻をなくし、その供養のため、「聖観世音菩薩」を高岩寺に寄進しました。 この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしかうまれました。これが「洗い観音」の起源です。その後、永年に渡ってタワシで洗っていた聖観世音菩薩の顔などもしだいにすりへってきたので、平成4年11月27日、この仏像にご隠退をいただき、あたらしい聖観世音菩薩の開眼式を執行した。新しい仏像の製作者は彫刻家の八柳尚樹先生、寄進者は仲堀義江氏です。同時にタワシを廃止し布で洗うことにしました。 明暦の大火(1657年) この火災による被害は、延焼面積・死者共に江戸時代最大で、江戸の三大火の筆頭としても挙げられる。外堀以内のほぼ全域、天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失し、諸説まちまちではあるが、死者は3万から10万人と記録されている。 江戸城天守はこれ以後、再建されなかった。火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本史上最大のものである。ロンドン大火、ローマ大火と並ぶ世界三大大火の一つに数えられることもある。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より |
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